奈良市史料保存館の見どころやおすすめポイントを感想を交えて詳しく紹介します!
奈良市立史料保存館は奈良県奈良市にある施設です。外観は奈良町にある町屋をイメージしており、落ち着いた雰囲気の中で展示物が見られます。
奈良市立史料保存館で注目したい展示物は高札です。高札は法令を民衆に知らせるための告知板でした。
つまり、高札を見ると、民衆の暮らし方がよくわかります。奈良市立史料保存館には江戸時代の高札が展示されています。
高札を見たら、ただ見るだけでなく、解読にチャレンジしましょう。
高札は民衆が理解できるように、仮名が使われました。そのため、現在の我々でもある程度、読み解くことができます。
また、高札は江戸幕府の権威の象徴でもありました。そのような背景を頭に入れた上で、高札を見るとおもしろいでしょう。
高札以外にも奈良市立史料保存館にはさまざまな展示物があります。せっかく、奈良に来たのですから、奈良に関する展示物にも注目したいところ。
奈良は都が京都に移り、衰退の一途をたどりました。奈良市立史料保存館がある奈良町が整備されたのは江戸時代のことです。
奈良の歴史を少しでも知っていると、奈良の旅が充実することでしょう。これだけの展示物がありながら、入場料が無料なことも見逃せません。
今回は奈良市立史料保存館へ行ってきたので、写真付きで感想をレビューします。
奈良市立史料保存館の入館料は無料です。
事前予約は必要ないので、開館時間に合わせて気軽に訪問してみましょう。
休館日は基本的には月曜日ですが、臨時休館日があるので注意が必要です。なお、月曜日が休日の場合は火曜日が休館日になります。
奈良市立史料保存館の見どころは江戸時代以降の高札です。奈良市立史料保存館では高札の展示だけでなく、高札に書かれた内容も解説しています。高札を通じて歴史が学べますよ。
高札とは、古代から明治時代初期にかけてつくられた民衆に知らせるための告知板。
ただし、町内会の回覧板のようなものではなく、法令がきちんと書かれたものでした。
もちろん、法令が書かれているので、どの場所であっても同じように使われていました。
また、内容だけでなく字体もしっかりしており、書き方の手本にもなったとか。高札を取り上げるだけで、いろいろなことがわかります。
きりしたん札と呼ばれたものを見つけました。江戸時代につくられ、内容はキリスト教を禁じるもの。
キリシタンを見つけて幕府に通報した者はお金がもらえたことがわかります。
「ばてれん」(司祭)を訴えた者には銀500枚、「いるまん」(修道士)を訴えた者には銀300枚、いったん仏教に改宗した者で再びキリシタンになった者を訴えた者にも銀300枚、キリシタン並びにそれを匿った者を訴えた者には銀100枚をそれぞれ与える、とありました。
興味深いのは、たとえ親類縁者であっても訴え出た者には銀500枚を与える、ということ。
また、キリシタンを匿っていることがわかった場合は本人だけでなく、名主や五人組も連帯責任を負わされました。
家族、村人同士を監視させることで、キリスト教を禁じようとしたのでしょう。文末には札を掲げた年月日、発行元が書かれています。
これは毒薬売買の禁止、にせ金売買の禁止、新しいお金、年貢の納め方が書かれています。
高札は民衆が読めるように仮名混じりで書かれているので、私たちも簡単に解読できます。
他にも親孝行、博奕の禁止、忠孝の奨励、精勤、賛沢の禁止など、さまざまな高札があります。
この高札だけを見ると、当時の人々は窮屈な毎日を送っていたことが想像できます
高札はこのように高札を掲げるための掲示スペースがあったようです。また、雨に塗れないように屋根が取り付けられている点にも注目したいところ。
他にも、いろいろな掲示の仕方がありました。高札は江戸時代に最盛期を迎えましたが、明治時代に廃止されました。
高札が廃止された理由としては財政難が挙げられます。明治政府は高札を維持するための資金がありませんでした。
また、新聞などの新しい伝達手段が出現したことも大きな理由のひとつです。
それでも、当時の民衆は怖がって簡単に高札を捨てられなかった、というエピソードが残っています。
当時の人々にとって、高札は単なる告知板ではなく、幕府の権威のシンボルであったことがわかりますね。
奈良町市立史料保存館には高札以外にもいろいろな展示物があります。特に奈良の民衆文化は一見の価値ありです。
注目したいのは奈良の民衆文化に関する展示物は、歴史が詳しくない方でも、十分に楽しめます。
民衆文化を少しでも知っていると、奈良旅行の楽しみも増すことでしょう。
ここには奈良町に関する説明がありました。都が京都に移ると平城京があった奈良は衰退しました。
古典を読むと、平安貴族が奈良のことを「古い里」と呼んでいたことがわかります。
奈良は衰退しましたが、東大寺、興福寺、元興寺はそのまま残り、南都(なんと)と呼ばれるようになりました。
そのため、現在でも奈良には南都という言葉があちこちで見られます。
その後、奈良は寺を中心とした門前町として発展しましたが、度重なる戦乱により破壊と復興を繰り返しました。
江戸時代になると、整備され奈良町と呼ばれることに。これが、人気を集めている奈良町のスタートです。
奈良市立史料保存館がある場所には元興寺がありました。中世、近世になると、元興寺は衰退したと言われています。
奈良市立史料保存館にはトイレがあります。男女別のトイレだけでなく、多目的トイレもあるので、誰もが快適に利用できます。
一般トイレは和式ですが、多目的トイレは洋式なので、誰でも快適に利用できます。
ただし、ベビーシートやおむつ替えシート、授乳室などの子供向けの設備はありません。
ベビーカーのレンタルやコインロッカーもありません。コインロッカーを利用する際は駅のコインロッカーを利用しましょう。
これが一般トイレです。手洗いも自動になっており、とても衛生的です。
また、手洗い場にはアロマスティックが置かれており、快適なトイレづくりに一役買っています。
掃除も行き届いており、本当に気持ちいいです。また、トイレットペーパーの予備もありました。
これが多目的トイレです。多目的トイレは洋式です。
このように手すりが洗面所やトイレにあるため、誰でも安心して利用できます。ただし、トイレは自動的に点灯せず、外からスイッチを入れる必要があります。
奈良市立史料保存館は江戸時代や奈良に興味がある方におすすめしたい施設です。
平城京から今日までの奈良を知っておくと、奈良観光の楽しみも増すことでしょう。
小学校高学年になれば、展示内容の大半は理解できると思いますが、子供向けの設備がないため、小さな子供には向きません。
奈良市立史料保保存館は「近鉄奈良駅」から徒歩15分、JR「奈良駅」から徒歩20分と好アクセス。周辺には駐車場があるので、車で行くことも可能です。
奈良市立史料保存館の最寄り駅は「近鉄奈良駅」、JR「奈良駅」です。
「近鉄奈良駅」からは歩いて15分ほど、JR「奈良駅」からは歩いて20ほどかかります。
バスでアクセスすることも可能。「近鉄奈良駅」またはJR「奈良駅」からバスに乗り、「福智院町」「北京終町」「南袋町」で下車します。
それぞれのバス停から奈良市立史料保存館までは徒歩10分以内です。
奈良市立史料保存館には駐車場がありません。ならまちセンター前駐車場、ならまち大通り周辺にある有料駐車場を利用しましょう。
住所 | 奈良県奈良市脇戸町1-1(地図) |
連絡先 | 0742-27-0169(奈良県教育総務部 文化財課 史料保存館) |
最寄駅 | 近鉄奈良駅、JR奈良駅 |
アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩10〜15分、またはJR奈良駅から徒歩15〜20分 バスの場合は奈良交通天理線バス「福智院町」下車徒歩約10分、市内循環バス「北京終町」下車徒歩約8分、近鉄奈良駅から中循環バス「南袋町」下車徒歩約6分 |
営業時間 | 午前9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜日(その日が休日のときは開館、その後最初の平日に休館)、休日の翌日(その日が土・日・祝日のときは開館)、年末年始(12月29日〜1月3日)その他、臨時に休館する場合あり。 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 専用駐車場は無し。近隣のコインパーク利用してください。 |
公式サイト | http://www.city.nara.html |
如月柊
道端でネコを見かけるとついつい走り寄ってしまう猫好きライターです。あまりにしつこくなぜなぜするので、愛猫からは猫キックしまくられるという冷遇ぶり。でも、猫は気まぐれでもかわいいから許すということで、日々猫と格闘しています。
編集&校正 ビー・エイブル