有岡城跡史跡公園の見どころやおすすめを感想を交えて紹介します。アクセスや駐車場、入館料金・割引料金(割引チケット)などの詳細もあり!
有岡城跡史跡公園は兵庫県伊丹市にある公園です。有岡城は伊丹城とも言われ、国の史跡に指定されています。
有岡城は南北朝時代に伊丹氏によって築かれた城で、1472年に改築されるまで日本最古の天守台を持つ平城でした。
もともとは居住用の城として建てられましたが、戦国時代を経て、堅固な造りになっていったと言われています。
1574年に荒木村重が攻め、有岡城の城主になりました。しかし、荒木村重は織田信長にまさかの謀反。
その後、織田信長に攻められ、有岡城は落城の運命をたどりました。
有岡城は、もともと惣構え(そうがまえ)があったと考えられています。惣構えは城郭構造のひとつ。
城の周囲に堀と土塁をめぐらし、街屋敷や町屋などを意図的に配置し、防御帯を設けたものです。
有岡城は、城の周りに人工の堀を設け、城を守る惣構えを作っていたと考えられています。
また、城のまわりは伊丹川、駄六川、猪名川が流れており、川も敵の侵入を防ぐ役割を果たしていました。
これらの防御策のおかげで、織田信長の大軍が攻撃した際も、攻め落とすのに一年を要したと言われています。まさしく、有岡城は難攻不落の城でした。
月日は流れ、「伊丹駅」が整備されるのと同時に有岡城の発掘作業が行われ、国の史跡として整備されました。
残った地区は酒造りの街として発展し、15の村がひと続きになった「伊丹郷町」が誕生しました。
今でも周辺には江戸時代の名残が見られます。有岡城跡史跡公園と合わせて訪れるといいでしょう。
有岡城跡史跡公園の最寄駅はJR宝塚線「伊丹駅」です。「伊丹駅」からは徒歩わずか2分。
また、大阪駅から「伊丹駅」までは1本でアクセス可能です。したがって、有岡城跡史跡公園は大阪から気軽に立ち寄れる観光スポットです。
今回は有岡城跡史跡公園へ行ってきたので、写真付きで感想をレビューします。
有岡城跡史跡公園は有岡城の在りし時代を現在に伝えているスポット。説明板も整備されているので、簡単に城があった時代をイメージできますよ。
有岡城跡史跡公園は有岡城の主郭部があったところで、現在は城跡として整備されています。
有岡城跡は「伊丹駅」の整備と同時に発掘作業が始まりました。発掘作業では本丸跡の石垣や建造物跡、庭園などの遺構が次々と発見。
また、保存状態が良かったことから、大いに注目されました。
その後、主郭部の一部、猪名野神社境内にある「岸の砦」、惣構えの跡でもある水路と道路敷きの一部、堀跡が国の史跡と指定され、有岡城跡史跡公園として整備、保存されることになりました。
なお、出土品は伊丹市の博物館に展示されています。有岡城跡史跡公園には井戸跡や土塁が残っており、説明も充実の内容。
園内にある説明板を見ると、簡単に城をイメージできると思います。
こちらが有岡城跡です。このように、石垣が積み上がっています。この石垣は史跡整備の際に新たに築かれたものです。
有岡城があった時代は「伊丹駅」のほうまで城の敷地がったとか。「伊丹駅」の開発に伴って一部が削られ、現在のような姿になっています。
まずはこの階段を上がって行きましょう。
階段を上がると広場がありました。ここには有岡城の説明と城主の荒木村重の説明がありました。
荒木村重は池田城主に仕え、尼崎や大津まで戦いに参加していた武将です。
説明板にある荒木村重の似顔絵を見ると、ずいぶん立派な武将だったことがわかりますね。
こちらには句碑もありました。
「霜かれに残りて我は八重むくら なにはのうらのそこのみくつに」
実は、この歌は荒木村重の妻が歌ったもの。
それに対して、夫である荒木村重の返歌は
「思いきや あまのかり橋ふみならし なにはの花の夢ならむとは」
でした。奥さんの歌の意味は
「霜枯れの冬に残る私は幾重にも茂った雑草のようなもので、大阪の水底の藻屑となってしまうのだなあ」
というようなことなのですが、実は織田信長に謀反を謀った荒木村重は、信長の総攻撃に抵抗できず、「たし」と子供を見捨てました。
結局、「たし」と子供は人質にされ、見せしめのために市中を引き回しにされ、処刑されます。
この時、人質になっていた122人がはりつけに処せられ、500人余りが焼殺させられました。
一方、荒木村重の返歌を読むと、彼の無念な気持ちが痛いほど伝わってきました。
こちらには礎石建物跡があります。石で目印がついており、城の礎があったことを表しています。なお、これらはレプリカです。
こちらが井戸跡と有岡城石垣跡です。こちらの井戸跡も本来のものではなく、井戸があったことを示すレプリカです。
ただし、こちらの有岡城石垣跡は本物です。
発掘された際、このような状態で見つかりました。有岡城の石垣は現存する戦国時代の石垣において、最古のものです。
こちらが土塁です。土塁は敵の侵入を防ぐために築かれた土製の堤防状の壁のことを指します。
有岡城は城を守るため、城である「主郭部」と、家臣達が住む「侍町」、一般町人が住む「町屋地区」に分かれていました。
そのため、敵が本丸に突撃しにくい構造になっています。先ほども書いたとおり、有岡城は現在よりも広く、道路がある場所も含まれていました。
有岡城は物構えと呼ばれる構造になっており、敵の侵入が容易ではありませんでした。
なお、物構えの一部は用水路になっています。有岡城が攻め落とされた後、伊丹郷町は酒の町として栄えました。
こちらが水路です。酒蔵からの排水のために使われた水路のようです。お酒を仕込むシーズンになると、水路から酒の甘い匂いが立ち込めたとか。
このように、伊丹には歴史を感じさせるスポットがあちらこちらに点在します。
有岡城跡史跡公園にはトイレはありません。ベビー関連の設備もありませんでした。
有岡城跡史跡公園にはトイレはありません。「伊丹駅」もしくは近くにある商業施設アリオのトイレを利用しましょう。
「伊丹駅」には一般トイレだけでなく、多目的トイレも設置されています。
多目的トイレには車いすの方はもちろん、おむつ交換台があるので、小さな子供を持つ親も安心して使えます。
また「伊丹駅」にはコインロッカーがあるので、重い荷物があれば「伊丹駅」のコインロッカーを利用しましょう。
有岡城跡史跡公園はJR宝塚線「伊丹駅」から徒歩2分と好アクセス。周辺には駐車場があるので、車で行くことも可能です。
有岡城跡史跡公園の最寄駅はJR宝塚線「伊丹駅」です。
「伊丹駅」から有岡城跡史跡公園までは徒歩2分です。
なお、周辺には駐車場があるので車でのアクセスも可能です。
有岡城跡史跡公園はお城好きの子供におすすめ。荒木村重ファンならきっと喜ぶこと間違いなしです。また、大阪からのアクセスが抜群なことも有岡城跡史跡公園のおすすめポイントですよ。
有岡城跡史跡公園はお城好きの子供におすすめ。特に荒木村重ファンなら、喜ぶこと間違いなしです。
城の形は残っていませんが、痕跡は残っているので、あれこれ想像しながら散策するといいでしょう。
また、有岡城跡史跡公園は「伊丹駅」から近く、大阪から1本で来られるので、気軽に訪れることができます。
近くには商業施設アリオがあるので、ショッピングの合間に立ち寄るのもアリですね。
ただし、有岡城跡史跡公園にはスロープがないので、ベビーカーの使用は難しいです。
住所 | 兵庫県伊丹市伊丹1丁目(地図) |
連絡先 | 072-784-8090(伊丹市市教委社会教育課) |
最寄駅 | JR宝塚線「伊丹駅」 |
アクセス | 「伊丹駅」から徒歩2分 |
営業時間 | 24時間 |
休園日 | なし |
料金 | 無料 |
駐車場 | 専用駐車場はありません(商業施設アリオの有料駐車場があります) |
公式サイト | https://www.city.itami |
如月柊
道端でネコを見かけるとついつい走り寄ってしまう猫好きライターです。あまりにしつこくなぜなぜするので、愛猫からは猫キックしまくられるという冷遇ぶり。でも、猫は気まぐれでもかわいいから許すということで、日々猫と格闘しています。
編集&校正 ビー・エイブル